ほんとうは何もしたくないのに、大金をはたいてしまう人がやるべきなのは。
「ほんとうは何もしたくない」のに、何だか一生懸命ピースしながら頑張って人生のアガリを目指す。この現象がわりと多く見られるのは何でだろうなあ、とわりと長い間、わたしの脳みその隅っこあたりをうじょうじょしていました。でも、この答えは至極単純で、「自分が自分を理解していないから」もうこのひと言につきる。
「何もしたくなかった」
「今のわたしは稼ぐことよりも余白が必要だった」
と、起業女子難民やスピリチュアル難民と思われる方によく見られるSNSやブログの宣言。そうか、大変だったんだなあ、と同情しかけるも、「何もしたくない」と気づくまでに、時間と割と大きなお金が必要なのは、日本三大疾病に名を連ねても良いくらいの現代の闇ではないかなあ、とも思うのです。
講座にお金を費やす前に、休め
強み発掘・魅力発見、トラウマ解放
魂のステージアップ…云々
といったサービスは最近ではとても潤沢で。
そういった商品に大金をはたいた後で、何かを足すことではなくてむしろ歩んでた足を止める、もしくはゼロにすることに気付いた人は
「これも学びだったのね!」
と、誇らしげにシェアをする。
だったら何かを浪費する前に気付けよ
(もしくは誰か止めろ)って気もするのです。
まあ、こういった誇らしげで楽しそうな発信ってパッと見幸せそうではあるけれど、どことなく薄っぺらい感じ否めない。たとえペラく見えても、
その人自身が本当にペラいのでもないでしょうし、それを生み出してる人が原因かもしれないけれど、そこに文句垂れ流すのもなんだか違う。
何もしたくないことに気付けないのは、自分の体質を理解できてないから
この悩ましい違和感のひとつの原因って、自分のトリセツを理解せずして、攻略本ばっかを買ってしまうし勧めてしまうからではないでしょうか。
つまり、自分は野菜ばっかりを食べると却って便秘を起こす体質なのに、それを知らずして、「便秘を解消する方法」といったノウハウばっかを延々追っかける現象のこと。(この例えは、適当ですが‥w)
この自分のトリセツって、間違った解釈や運用をしてしまうと、本人が人生のある程度のところまで上手く行ったとしても虚無感と孤独感しか残りません。さらに言えば、相手の人生をも狂わせる凶器にもなりかねない。
(なんで相手の人生まで?と疑問に思う方もいらっしゃるかも知れませんが、本題ではないので、またの機会に書ければ…)
だから、主観的なものも含めてもそうなんですが、経験も引き出しも圧倒的に自分より豊富な第三者の眼でみた自分トリセツを知るのが結構重要。これ人選ミスったら大変ですが。いわゆる強み発掘家、に聞いても良いのですが、オカマバーのマスターとかに聞いた方がよっぽど核心を付いた答えが返ってきそうですね。まあ、肩書きや職業は何でもいいのですが、見た目のきらびやかさや、マーケティングに煽られた人選をしないことが重要。
もっと言えば、普段の会話から自分で拾い上げられたらもう言うことないのですが、自分のことは自分で気づけるほど賢くはないので、誰かの視点を挟むのがやっぱり良いでしょう。
第三者から見た自分を知り、生活を営む上での最低限のこと以外何もしない時期も経験する。
それでも
「自分の中から何か
コンコンとノックされているような気がする」
という感覚がどうしても沸き上がってくるのであれば、そのときにようやく、何かを足しても良くなる時期となるのではないでしょうか。