ごきげんにんじん。

ごきげんで参りましょう。

影響力のある記事が書けないからこそ、運命の出会いを諦めない

 

f:id:komajyo-miyako:20171017183404j:plain

 

「考えをうまく言語化できない自分って、ダメだなぁ…」

「影響力のある記事を書ける人ってすごいなあ」

 

と、考えながらも、ほんとうは伝えたいこと、表現したいことは山ほどあるはずなのに、今日も自分の無能さに肩を落としながら、パソコン・スマホの画面のセンセーショナルな言葉に途方に暮れる。。。。

 

いいねも貰えないし、影響力も拡散力もないんだなあ、わたしの考えって…と思うのも無理はないですが、この場合、「自分の考えを言えない」「表現する才能がない」訳ではなく、もう少し複雑な構造があるのかもしれません。

 


感じたことを、この地球で通用する言語に変換しにくい

変換しにくいから、人に伝えるのも難しい

結果、諦めてしまう。
もしくは相手に伝わる一般的な表現をしようとして、自分が納得のいく言葉にならずモヤっとする。

 


ということも、過去のわたしも含め、多々起こっているように感じます。


 

「万人にわかる言葉で書く」のは、あなたの世界が色褪せてしまう

 

「なんかヘンな感じがする」
「こんな感じー!(ジェスチャー付きで)」


といった超・感覚的(人によっては宇宙語と表現する方もいらっしゃいますね)な言葉は、この一般社会ではまずアウトです。twitterで叫ぼうものなら、民度が低いと叩かれ、ブログではちきれんばかりの想いを伝えたところでも、「その記事、誰が読むの?」「SEOわかってんの?」と、ブログ界のインテリ層にバカにされて終わりです。

 

 

「もっと人にわかる形で伝えろ」
「意味がわからない」


と、幾度となく言われ、ショックを受けた経験も優しい皆さんでしたら、きっとあるはず。



もちろん、場面やツールごとの言葉の使い方はわきまえる必要はあります。ですが、それを本当に繋がりたい人にまで持ち込むと、「表現できない(と思いこんでいる)自分」をより強固にして、ますます「表現できない(と頑なに信じている)自分」になってしまいます。

 

でもね、口べただからって、友達ができない理由にはならないでしょう?数の大小こそ、人の趣味の数だけあるけれど、いわゆるコミュニケーションの教科書に載っているようなことを表現できなくたって、共感してくれる人はひとりくらいはいるはずなんですよ。もし居なかったら、自分の人格を見直しましょうよ、って話で。笑

 

みんなの役に立とう、誰もが読んで心地のいいことを書こう、と眉間にしわを寄せれば寄せるほどあなたの言葉が色褪せて、果ては肚からの声が消えてしまう。

 

あなたが色褪せる前に、何でもいいから声に出そう


もうね、これに関しては、小さな小さな解決策しかありません。


信頼のおける仲間(←ここ、大事) にどんなに些細なことでも気付いたことをシェアすること。それすらも億劫ならば、つたなくても、ノートに書くなり、ブログやいろんな発信媒体に記録すること。

 


運命の出会いが、あなたを変える訳ではありません。インフルエンサーや出版経験のある方、発言が強い方があなたの世界観を深めてくれるのでもありません。違和感も心地よさも全部ひっくるめて、自分の感覚を信頼すること。スッとロジックが通らない、つたない言葉だからこそ、出会える人もいるんです。

 


その積み重ねが、振り返ると

【あれが運命の出会いだったのかも】

となるものです。