影響力のある記事が書けないからこそ、運命の出会いを諦めない
「考えをうまく言語化できない自分って、ダメだなぁ…」
「影響力のある記事を書ける人ってすごいなあ」
と、考えながらも、ほんとうは伝えたいこと、表現したいことは山ほどあるはずなのに、今日も自分の無能さに肩を落としながら、パソコン・スマホの画面のセンセーショナルな言葉に途方に暮れる。。。。
いいねも貰えないし、影響力も拡散力もないんだなあ、わたしの考えって…と思うのも無理はないですが、この場合、「自分の考えを言えない」「表現する才能がない」訳ではなく、もう少し複雑な構造があるのかもしれません。
感じたことを、この地球で通用する言語に変換しにくい
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変換しにくいから、人に伝えるのも難しい
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結果、諦めてしまう。
もしくは相手に伝わる一般的な表現をしようとして、自分が納得のいく言葉にならずモヤっとする。
ということも、過去のわたしも含め、多々起こっているように感じます。
「万人にわかる言葉で書く」のは、あなたの世界が色褪せてしまう
「なんかヘンな感じがする」
「こんな感じー!(ジェスチャー付きで)」
といった超・感覚的(人によっては宇宙語と表現する方もいらっしゃいますね)な言葉は、この一般社会ではまずアウトです。twitterで叫ぼうものなら、民度が低いと叩かれ、ブログではちきれんばかりの想いを伝えたところでも、「その記事、誰が読むの?」「SEOわかってんの?」と、ブログ界のインテリ層にバカにされて終わりです。
「もっと人にわかる形で伝えろ」
「意味がわからない」
と、幾度となく言われ、ショックを受けた経験も優しい皆さんでしたら、きっとあるはず。
もちろん、場面やツールごとの言葉の使い方はわきまえる必要はあります。ですが、それを本当に繋がりたい人にまで持ち込むと、「表現できない(と思いこんでいる)自分」をより強固にして、ますます「表現できない(と頑なに信じている)自分」になってしまいます。
でもね、口べただからって、友達ができない理由にはならないでしょう?数の大小こそ、人の趣味の数だけあるけれど、いわゆるコミュニケーションの教科書に載っているようなことを表現できなくたって、共感してくれる人はひとりくらいはいるはずなんですよ。もし居なかったら、自分の人格を見直しましょうよ、って話で。笑
みんなの役に立とう、誰もが読んで心地のいいことを書こう、と眉間にしわを寄せれば寄せるほどあなたの言葉が色褪せて、果ては肚からの声が消えてしまう。
あなたが色褪せる前に、何でもいいから声に出そう
もうね、これに関しては、小さな小さな解決策しかありません。
信頼のおける仲間(←ここ、大事) にどんなに些細なことでも気付いたことをシェアすること。それすらも億劫ならば、つたなくても、ノートに書くなり、ブログやいろんな発信媒体に記録すること。
運命の出会いが、あなたを変える訳ではありません。インフルエンサーや出版経験のある方、発言が強い方があなたの世界観を深めてくれるのでもありません。違和感も心地よさも全部ひっくるめて、自分の感覚を信頼すること。スッとロジックが通らない、つたない言葉だからこそ、出会える人もいるんです。
その積み重ねが、振り返ると
【あれが運命の出会いだったのかも】
となるものです。