フォロワー数や売上に囚われない、本質的な発信をするために取り入れること
Facebookを開けば、誰かのいいね!によって流れてくる、SNS起業をうたう、キラキラ起業家と言われるきれいなお姉さん眩しい投稿。
ランチの写真にいいね数百件!?どひゃー
どこかの自己啓発書の引用みたいな言葉しか使っていないはずなのに、注目も浴びているし、たくさん稼いでいそう。
そんなことくらい、わたしだってわかるし、考えているし、もっと良い言葉で言えてるもん。
まあ、成功しるのかもしれないけどさ…その発信って、なんだか人生の本質的ではないような。そう虚しく感じながらも、発信の吸引力と華やかさを、なんだか見てしまう。
関わる人の数は少なくても良いからって、反応を貰えなくていい訳ではない。だけど、キャッチーな言葉を使って煽りたい訳でもない。
そんな深みのある人がもつジレンマ、自分の性質を諦めずに読まれる発信をするために必要なエッセンスを書いてみました。
審美眼があるからこそ斜に構えてしまう。
ネットでさらさら流れていく言葉を読むたびに疑問を抱いて仕方のない人は、ものすごく審美眼のある人だと思います。
だからこそ、フォロワー数の多いSNS起業家やプロブロガーが、仮にペラくなかったとしても、敢えてマーケティングとして言っていることはわかっていても、自分が同じようなことは絶対にできない。
「わたしの方が良いこと言っているはずなのに、反応がないのは、やっぱり世間のニーズがないんだ」
と斜に構えて、自分の世界を閉じてしまい、発信そのものに億劫になってしまう。
ただあなた自身が本質を突いてしまうからこそ起こる現象で、誰のせいでもありません。
じゃあ、どうしたら良いか…
そういう人種もいるもんだ、違う国の人なんだと割り切る
簡単、簡単。
「彼・彼女たちは、あなたとはもう違う国に住んでいるようなもの」
もう、諦めて。笑
って、ペラい提案かもしれませんが、割り切るしかありません‥w
ひとつのことをじっくりと、
コトコト煮込んで消化してからものごとを伝えたい人にとっては、スピード重視で、数もたっぷり集めて・・・
なろうとしても、なれません。真似できません。うっかりやっちゃったとしても、心が擦り減っていつしか充電0%になります。
審美眼のある人は、加速度はゆっくりだからこそ、その人らしい成果が出ます。苦しいかもしれないけれど、芽が出る寸前だと思えば気長に待てるはず。
深いからこそ相手が言語化できるまでに時間を要することを受け入れる
そもそも、電車の中でスマホで流し読み‥と言う方も多いですし、ぺラい記事も深い記事も「意外と読まれていない」
悲しいかもしれないけれどそういうものだと受け入れて。笑
生身の一人の人間を理解するのに、時間が掛かるように、一つの発信ですんなり理解できるものでもない。と受け入れるほかありません。
それに、本質的なところを突いてしまっているからこそ、相手の深い所からのリアクションとなるまでに時間が掛かっているだけ。話題の深さと、実際の反応の多さが比例する訳でもありません。
そう受け入れたら、同じ内容でも違う言い回しで、相手の奥に染み込ませることが出来ないかな、と考えられるようにもなるはずです。
同じ考えの人もいることに目を向けて交流する
「本質的に見たらこうなのに、わかってくれる人ってやっぱり居ないんだ」
と諦めてシャッターをガラガラと締めてしまうと、たとえ数は多くなくても、近しい考えを持つ人との出会いすら閉じてしまうことになる。
「設定変更」っていうと、どこぞのスピリチュアルな人みたいで気持ち悪いですが、
いると思えばいる。そう思って発信すれば、よほど人格否定とかしない限りは、誰か共感する人だっているはずなんですよね。
びくびくしながら書いたけど、ひっそりながらも反応があった記事。笑
流し読みしても要点がわかる程度に、発信の濃さを薄める。
審美眼のある人は、そもそもが本質的で深いので、新しくそれを知る人からすれば、ちょっと濃すぎて受け取りにくくなっている可能性もあります。
スパイスが濃すぎるというか。笑
普段の発信レベルが大辛のスパイスなら、発信の軸は変えずに、甘口スパイスの発信も随所に取り入れてみること。
わたしもがっつり書いちゃうところもあるから、気をつけないとなあ‥^^;
やっぱり大事なのはゆるりとお茶を飲む時間を持つこと
本質的な人は、他の人が流しそうな所をさらっと指摘してしまうからこそ今までも支持されてきたんだと思います。
ネットを燃やすような言葉の往来や、都会の喧騒に消耗して、何をどうしたらいいのかわからなくなってきた人の拠り所にもなる人。
だからこそ、ゆるりとお茶を飲む時間や一人の贅沢を楽しむ時間をひと一倍取ることは、より深みがあって、なおかつ共感して貰える発信をするために大切なこと。
まあ、飲みなよ。心身浄化されるよ。