センセーショナルな言葉はうさんくさいと思いながらも、つい目に入ってしまうなら
「まだ会社員で消耗してるの?」
「移住して場所に囚われずに仕事しよう!」
「好きな人と好きな時に好きな場所で!」
・・・なんてことばはもう聞き過ぎて、フレーズを目にした時はハッとなるけれども、それも読んだ瞬間だけで、明日も今日と同じ日常が待っている。
羨ましいと一瞬は思ったあのキャッチフレーズが嫉ましく見えてくる
「自由になりたい!」と思いながらも、何をしたらいいのかわからずに、方法論をSNSとやらで何となく探して、キャッチーな言葉に一瞬はぐらつくも、結局何をしたら良いのかわからずに、今日を終えてしまう。そして、明日も同じことを思い、週末が来て、今週末こそ行動を起こすぞ!と言ってノウハウをさがして、また何をしたらいいのかわからなくなって、ブルーマンデーの再来。
そうしているうちに、羨ましいと一瞬は思ったはずのあのキャッチフレーズたちが、嫉ましく見えてくる。なんだ、結局煽って、信者からカネをむしり取ってるだけじゃないか。と蔑んでいたりしていないでしょうか。気持ちは、わかる。
でもね、ぐいっと心を引きつけるあの炎上的なメッセージの数々は、世間体や親の刷り込みによって一方向しか見ていなかったわたし達の視点をひっくり返し、自分の原点を思い出させる些細なきっかけでしかないのであって、幸せにしてくれるものでは決してない。いっときの麻薬にはなるだろうけれど。
たとえ原理原則的なことを言ってたとしても、じぶんが自然体でうまくための方法は、自分でしか見つけられない。
もうそんなフレーズ、耳タコで飽きたよ、と心の叫びをあげている方、「そんなコテコテのマーケティングしやがって!」と、強く思ってしまう自分がいるならば、「それほど守りたいものがある」からこそ出てきている、儚いながらも逞しいあなたではないでしょうか。
自分がうまくいく方法を知りたいのなら
自分がうまくいく方法を知りたいのならば、今日もネット回線を燃やしつくしているあの人の言葉を取り込むよりも、お金がもらえなくても、注目されなくても夢中になれることを出来る範囲ではじめること。サラリーマンやってるんだったら、空いた時間を全てそれにつぎ込むくらいの気概で。
お金にならないのは、社会的成功を果たしていないからやること自体に価値がない、と捉えられがちかもしれません。ですが、ビジネスセンスもないのに延々とノウハウを集めするよりも、お金にならないとわかっていながらも、なにかに没頭することのほうが、よほど尊いと思うのは、私だけかもしれませんね。